経歴
大悟までの道のり 24歳まで

大川隆法総裁は、幼少時より努力家でした。努力を愉しむことをもって本分と戒め、地道な精進の姿勢を続け、東京大学法学部へ進学。その頃からさらに知への情熱が心の底から奔流のごとく湧き出し、夜を日に継いで勉学に打ち込まれました。20歳のころには、読破された書物が1000冊を超えました。政治、法律、歴史、思想……さまざまな領野を納得いくまで学び、人類の叡智として光を放つものを徹底的に探究されたのです。瞑想的な日々のなかで、知的な至福の感覚を何度も体験された総裁は、80年12月ごろから霊的覚醒の予感を抱かれます。
そして1981年3月23日の午後2時過ぎ、「イイシラセ、イイシラセ」と、〈福音〉を告げる自動書記が始まりました。ついに大悟の瞬間が訪れたのです。24歳のときのことでした。
幸福の科学 立宗まで 大悟から30歳まで

大悟された大川隆法総裁は、大手総合商社で6年間の社会経験を積み、来るべき日に向け、雌伏の時を送りました。商社では東京本社の外国為替部に配属され、翌年にはニューヨーク本社の研修生に抜擢。世界貿易センタービル40階の事務所では、オフィサーとしてアメリカ人の女性秘書を部下に、国際金融の仕事に従事。その傍ら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ばれました。
一年後、高い実績が認められ、そのまま駐在員への切り換えを打診されるという前例のない栄誉に浴するも、商社マンとしては異例の無欲さで、辞退。東京本社に戻られたのです。
エリートコースを驀進し、将来を嘱望される一方で、天上界との霊的交流は続いていました。27歳のとき、社内報に「愛の発展段階説」を寄稿。大反響を呼び、当時の日刊工業新聞にも転載されました。
そして84年、社内の幹部養成コースの通例として、名古屋支社へと異動。このころから霊言刊行の話が進み、85年8月、初めての霊言集『日蓮の霊言』が発刊されたのです。
以後、巻を重ねるごとに、読者の声は鳴りやまなくなりました。
1986年6月17、18日、総裁のもとに、イエス・キリスト、天御中主神などの高級諸霊が次々と降下。救世主として世に立つべき時が来たことを知らせる“梵天勧請”の瞬間が訪れました。総裁は、これまで積み上げてきた一切の実績、名声等を捨て、空手(くうしゅ)にして立つことを決意。誕生日を迎えたばかりの7月15日に商社を退社されました。
30歳にして、全人類救済のために一身を投げ出し、ただ一人、立たれた偉大なる瞬間。立宗への第一歩を踏み出されたのです。
幸福の科学の立宗以降 30歳以降

総合商社を退社した大川隆法総裁は、8月20日過ぎから9月8日にかけて、当会の根本経典『正心法語』と、当会の基本法となる『太陽の法』を、自動書記によって一気に書き下ろされました。9月22日から10月にかけて、『黄金の法』を自動書記。さらに、初の口述にて『永遠の法』が語り下ろされたのです。
『太陽の法』(法体系)『黄金の法』(時間論)『永遠の法』(空間論)によって、基本三法が完成。総裁は、幸福の科学の法の輪郭を示されたのです。
1986年10月6日、幸福の科学を立宗、同年11月23日に初転法輪。89年までのあいだに110回以上の説法をされ、140冊にのぼる経典を世に問われました。そして1990年、幸福の科学は真理の学習団体から伝道団体へと脱皮していきました。




